Real Me (陽)

はじめまして、Paula May です。

あまり自分のことを話すのは苦手ですが、なかなかの想いで新しいブログを立ち上げたので、記念に珍しく赤裸々に自分のことでも語ってみようと思います。

今世のはじまり
私は悪魔祓いが得意な両親から産まれました。

当時、父は教会の牧師を、母は同じところでシスターをやっていました。
そして霊媒の依頼があれば、父と母とその仲間たちで除霊をしに行っていたそうです。
父はその中心役として働いていた「相手が目に見えない存在でもその力が強くても、決して怯まなかった」人だったと母は言います。
母は小さい頃からいわゆる“第三の目”の持ち主で、周りが見えていなかったものをよく見えていたそうです。また怒ると何かしら災いが起きることが多く、母の姉たちは母が怒ると「お願いだから怒らないで!」と怖がられていたそうです。
ちなみに今でもたまに職場で仲間が霊に憑りつかれてわめき出せば、無料で悪魔祓いをします。

お察しの通り、このDNAならごく自然に何の障害もなくサイキックな子供が産まれるのは当然ですね、ええ。

バンジージャンプな人生
ニュージーランド出身のA. J. ハケットさんがバンジージャンプに超伸縮素材のゴムひもを作成したもんだから、上から真っ逆さまに落ちるとゴムの性質によって今度は同じくらいまた上に真っすぐ飛び、そしてまた落ちて、また上に飛んで…というあのバンジージャンプです。

小さいときは教会横の小さな家で両親と妹の4人で暮らしていました。
その家では、晩ご飯に出てきた焼き魚の骨が喉に刺さり、大量の血を吐いて1週間くらい入院したのが1番の思い出です。
そのあと父と母は私たちをちゃんと養うため教会でのお仕事を辞めて、気づいたら一軒家に住んでいました。
土地はまぁまぁ大きくゲートもあったんですが、トイレはなく、お風呂は壁も天井もない雨水が溜まっている場所という個性的な家でした。
その家では、大雨の度になくなる天井を父が直しながら母と妹とABCソングを歌っていたのが、刃物を持った男性に追いかけられた次に印象的な思い出です。

私たちをさらに養うため、母はその頃からよく海外へ働きに行っていました。
そして母がいない間に父が家を勝手に売ってしまったことをきっかけに、両親は離婚することとなります。

父はいなく母はほとんど海外にいたため、母の兄弟に面倒を見てもらっていました。
その頃通っていた学校は、日本で言う「幼稚園」にあたり、高等な教育が受けられるらしい“お金持ち学校”でした。
妹はそこの先生が大嫌いだったので、よく集合写真の先生の顔を黒ペンで塗り潰し角まで加えていました。
何故だか分かりませんが、その頃の私の写真のほとんどが不機嫌だったので、私も嫌いだったのかもしれません。

母が頑張ってくれていたおかげで、小中高大学一貫のこれまたお金持ちに入ることができました。
その頃には日本人のお父さんが出来ていたのでもの凄くお金持ちに見られ、お金持ちキッズたちに敵対されていました。
妹をイジメていた女の子に「小指切るぞ」と脅したことや、後日私を叱りに来たその子のお母さんに「その前に自分の子供を教育してください」と逆に叱ったことや、やたらライバル視されていた女の子にジュース一気飲み対決を挑まれたことや、「みんなにチヤホヤされて調子のるなよ」とデブ男の同級生にみぞおち殴られたことや…もうたくさんの思い出があります。

そして少し経つと、久しぶりに帰ってきた母と一緒に遊び行くつもりで出かけたら、気がつくと飛行機に乗っていました。
気がつくと、あれだけ大量にあったゴミの山が道から消えていました。
はじめてディズニーランドに来たのかなと思ったら、成田空港でした。

目立つことへの抵抗
小さい頃から様々な理由で目立つことが多かった。
そして日本に来たことで、ますますその目立ちが輝きを増しました。

まず、名前がカタカナであることで目立つ。
名前を呼ばれる度に周りはざわつき、それは今でも続いています。
そして次に顔で目立つ。
日本生活もだいぶ長くなったので少しは日本よりになったかもしれませんが、特に小さい頃はザ・外国人でした。
日本語が上手くなってくると「沖縄出身?」とよく聞かれたので、沖縄がどこかも分かりませんでしたが「はい、そうです」と答えていました。
ですが今でも人によってはやはり日本人には見えないらしく、「日本語話せますか?」とたまに聞かれます。
すみません、日本語しかちゃんと話せません。
高校の時は、「ハーフの子が来たらしいよ!」という噂で何人か先輩が教室まで見に来て顔を“評価”しに来たこともあります。

目立つのが本当に嫌で、化粧で顔が薄くなる方法を研究したり、特に来たばかりのときはわざと英語のテストが100点にならないようにしたり、完璧な発音を日本語英語にして話していました。

転機
これ以上目立たないようにひっそりと過ごしていましたが、ある日転機が訪れます。

中学の頃、ホームステイまたはスピーチコンクールの募集がかかりました。
私はホームステイにとっっっても!行きたかったので、数多くの応募者を差し置いて群を抜いた英語の会話力と発音を披露しました。
日本に来てはじめてのことです。
そしたら…スピーチコンクールに出るよう先生たちに熱望されました。
絶望しました。
悲しくて返事をしない私に、めげずに毎日薦めてくれる担任の先生の熱意に負けて出ることにしました。
たくさんの学生さんやお偉いさんたちの前で散々スピーチしたことで、人前に立つと我を忘れて堂々と話す自分に気づきます。

そして2回目の転機は、単発のバイトの面接のために名古屋まで出たら、間違えてタレント事務所に入ってしまったとき。
たくさん人前に出て、人を引っ張り、写真を撮られまくったとても目立つ経験をさせていただきました。

バランスをとるためだったかもしれませんが、「目立ちたくない!」裏でちゃんと「目立つ経験」をさせてもらいました。

そしてこのお仕事を通して出会った人をきっかけに、今までと比べ物にならないほどの大きな転機を迎えました。

< 陽 fin >

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