責任というもの

最近、「責任ってなんだろう?」って考えていました。

私は前世の一つに触れると過呼吸みたいになって苦しみます。
「私のせいで多くの人を死なせた」という想いが強く、思考よりも早く涙が流れて悲しい感情でいっぱいになります。

今しかない。
前世も未来世も“今”あって、“今”次第で変われる。

そんなことは言えても、ちゃんと実感できるときはあっても、それでも理性では止められない魂の記憶みたいなものってあるんだなと実感しています。

でもある人が言ったんですよね。

「なんで全部あなたが責任を取るの?
危険な目に合う可能性が高いと分かっててあなたに従ったのは彼らの選択で、そんな彼らを殺すと決めた人たちの選択があった。

あなたが全部責任を負うとしたら、
その人たちはどうやって自分たちの選択に責任を取ればいいの?

すごいなって思いました。
確かにって、初めて思いました。

すっごく嫌いだったんですよね。
そのときの自分が。

何もかもが間違っていた、そうするべきじゃなかったって、自分を大好きでいたいのにすっごく嫌いでした。
だから好きになれなくて自分に申し訳ないとも思っていた。
自分じゃなきゃいいのに、どっかのなりたい誰かだったらすごくいいのにって。

今でも嫌です。
それ関連のことを目にして耳にするとまだまだ悲しみの方が大きいです。

でもその人がそんな言葉を言ってくれたから前よりもだいぶ楽になったと思います。

責任ってなんでしょうね?
責任を取って辞職するとか減給されるとか大勢の人の前で泣きながら謝ったり。責任って誰のためにあってとらなきゃいけないんでしょうね。
そしてなんでいつも「責任」という言葉はその人を苦しむ方に働くんですかね。

高校生のとき「責任を取って辞職します」っていう政治家を見ると、
なんで「責任をとってより良くする」選択はしないのだろうと思った。

私はまだあのとき本当の【責任】という言葉を感じる現象に遭ったことがなかったかもしれません。
でも今の自分より、もっと賢いんじゃないかと思います。

他人は他人の役割を代わりにやることなんてできない。
何かをする上ではチームプレーでも自立が1番大切だし、
やっぱり自分の内側と向き合うとき孤独なものだなといつも思います。

でも“他人”だからこそ見えることもあるなと思いました。

ただの現象でも選択した自分の意思がある限り、そこに責任も罪悪感もどうしても感じてしまうのが私たち人間だけど、だからこそそのただの現象に私たちは幸せを感じたり楽しめたり喜ぶことができるのかなとも思います。

<fin>

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